この世界には、
到底解明することができない
謎に包まれた事件が数多く存在する。
今回のサッポロ年伝説では、
そんな、サッポロビールの歴史上で
起こったとされる、
ある奇妙な事件をご紹介しよう。
あなたは、
世界を揺るがした出来事の裏側で、
サッポロビールにまつわる、
ある不可思議な現象が起きていた
というウワサをご存知だろうか?
あなたは、
世界を揺るがした出来事の裏側で、
サッポロビールにまつわる、
ある不可思議な現象が起きていた
というウワサをご存知だろうか?
あなたは、
世界を揺るがした出来事の裏側で、
サッポロビールにまつわる、
ある不可思議な現象が起きていた
というウワサをご存知だろうか?
そしてその全容を語る前に、
あらかじめお伝えしておこう。
今回の年伝説は、
今後も、ひょっとすると未来永劫、
その真相が明かされることは
ないかもしれないのだ
時は1934年。
当時日本のビールのシェア7割を誇っていた
サッポロビールの前身「大日本麦酒」の新社屋が
銀座に竣工され、そのビルの一階に、
華々しくひとつのビヤホールが完成した。
大日本麦酒株式会社の
「銀座ビヤホール」
実はこれは、
いまも銀座に残る、
現存する日本最古のビヤホール、
「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」
なのである。
その歴史は、ここから始まっていたのだ。
そして今回の年伝説でご紹介する
不可思議な現象とは
この銀座ビヤホールにまつわる
話なのである
オープンから十数年がたった1945年。
1939年から始まった
「第二次世界大戦」による被害が
銀座にも襲いかかった。
その被害は尋常ではなく、
名だたる建物が破壊され、
銀座の大半は焼け野原となったそうだ。
そして不可思議な現象は、
その最中に起こったのだ…
なんと、
銀座ビヤホールは
戦争の被害を受けなかったというのだ。
これは一体どういうことなのか。
あなたには、この真相がおわかりだろうか…?
なぜ第二次世界大戦の被害を免れたのか。
そこには、こんなウワサがあるのだ。
第二次世界大戦の最中、
ひとたび日本を占領したとなれば、
そこに派遣される米軍たちは
大きなストレスを抱えることになる。
そうなれば、ビヤホールは
彼らの気持ちを和ませることができる唯一の存在。
以上の理由から、
このビヤホールの存在を知っていた米軍が、
意図的に攻撃をしなかったというのだ。
事実、このビヤホールは
戦後の1945年9月11日より、
約6年間の間、進駐軍専用ビヤホールとして
使用されていたという記録が残っている。
いかがだっただろうか?
その後、1952年1月にこの場所は
一般向けの場として再開され、現在に至る。
しかし、長い月日がたったいまも
今回の真相を立証するための資料は
公開されておらず、
この出来事は
謎に包まれたままなのだとか…
戦争から逃れたビヤホール。
嘘か、本当か。
このウワサの真相を
最初に解明するのは、
あなたかもしれない
※アンケートにお答えいただくと、サッポロWebサイト会員への
ご登録をいただく事となりますのでご了承ください。