この世界には、
古くから忌み嫌われる数字が存在する。
“悪魔の数字”といわれる「666」、
“13日の金曜日”のように不吉だとされる「13」。
日本でも「4」や「42」という数字は
縁起が良くないとされているのは有名な話だ。
それではあなたは、
この数字にまつわる奇妙なウワサを
ご存知だろうか?
「12」という数字が持つ意味、それは、
ある歴史上の人物とサッポロビールの間で起きた
ひとつの事件に
まつわるものなのだとか
この話はいまからおよそ140年前。
醸造家の中川清兵衛によって、
開拓使麦酒醸造所の創業後初となるビール、
冷製「札幌ビール」が完成されたことから始まる。
1877年6月、
冷製「札幌ビール」が初めて東京に到着。
そこには、
その完成を誰よりも待ち侘びていた男がいた。
彼の名は、黒田清隆。
当時の北海道開拓を指揮し、
中川清兵衛らとともに、
ビールづくりに情熱を注いだ人物である。
そして黒田は、この開拓使の偉業を披露すべく、
ある人物に初醸造のビールを贈るという
計画を目論んだ。
その人物とは、
当時内務卿を務めていた、
「大久保利通」
かの有名な大久保利通は、
実はかなりの酒好きで、
初醸造のビールを贈る相手として
これ以上ない相手だったのだ。
黒田は早速ビールを贈る段取りを取らせた。
そう、
後にこのビールが
悲劇を招くことも知らずに
後日、大久保のもとにビールが到着。
そこには、完成したばかりの冷製「札幌ビール」
であるという説明も添えられていた。
しかしここで、ある奇妙な事件が起きる。
そして、この事件のカギを握っているのが
「12」という数字なのだ…
なんと、大久保利通のもとに届いたのは
ビールが一滴も入っていない、
「12本の空き瓶」だったのだ。
これは一体どういうことなのか?
何かの手違いなのか、
はたまた、何者かによる陰謀なのか?
あなたには、
この真相がおわかりだろうか…?
その真相とは、瓶のコルクが抜け、
中身が噴き出してしまったのである。
なぜこのような事態になってしまったのか?
そこには、予想だにしない
ある原因があったのだ
完成した12本のビールは、
東京にいる大久保利通のもとに
送られたはずだった。
しかし、大久保が西南戦争で
京都に出向いていたため、
東京に不在だったのだ。
そのため、急遽ビールは京都へと転送されることに。
そしてこれが事件の引き金となるのだ…
当時の瓶ビールには王冠などなく、
買い集めた瓶は不揃いで口径もまちまち。
そんな中、思いもよらない京都までの長旅のせいで、
品質を保つために同梱されていた氷が全て溶け、
酵母が瓶内で再発酵。
結果、内圧が高まってコルクが抜けてしまったのだ。
こうして空の状態となった12本の瓶が、
大久保のもとへ届けられたのだった。
かくして黒田の目論見は、
面子丸つぶれの珍事として幕を閉じた。
この話は、いまも残る逸話として
語り継がれているのだとか…
いかがだっただろうか。
最後にもうひとつ、皆様にお伝えしておこう。
大久保利通が当時務めていた「内務卿」とは、
現代でいうところの、
実質的な総理大臣にあたる存在。
そんな人物に対して起きてしまったこの悲劇。
当然、単なる失敗談で終わるはずもない。
その後、黒田は一体どうなったのだろうか…?
「瓶の品質にまで徹底管理を」
サッポロビールの
真摯な企業姿勢は、
この珍事から
始まったのかもしれない
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