ブランドヒストリー
HISTORY
無限の可能性を信じ、
さらなる魅力と文化を切り拓く。
世界でいちばんおいしいビールを日本でつくる。
その理想を掲げ、ヱビスビールは誕生しました。
「たのしんでるから、世界は変えられる。」
無限の可能性を常に追求し、
130年にわたる歴史の中で、
誰よりも私たち自身がたのしみながら、
ビールの魅力と文化を切り拓いてきました。
私たちはこれからも歩みを止めず新たな挑戦とともに、
ビールのさらなる魅力を伝え、ビール文化を広げていきます。
YEBISU TIMELINE
1880
1887
サッポロビールの前身
「日本麦酒醸造会社」設立
「日本麦酒醸造会社」設立
1889
醸造場が完成
目黒村三田(現在の東京都目黒区三田)に、
レンガ造り3階建てのモダンな醸造場が完成。
当時、周囲には田園風景が広がっており、日本鉄道(現JR山手線)の列車が走行していました。
レンガ造り3階建てのモダンな醸造場が完成。
当時、周囲には田園風景が広がっており、日本鉄道(現JR山手線)の列車が走行していました。
1890
1890
「恵比寿ビール」誕生
当時は「日本一のビールメーカーになる」ことを掲げ、「本物のおいしさ」にこだわり、本場ドイツから醸造設備や醸造技師まで呼んで、本格的なビール作りをスタート。発売からわずか1ヶ月後の内国勧業博覧会で「最良好」の評価を受けました。
1891
東京を代表するビールに
のちに東洋のビール王と称される馬越恭平が
社長になってから、「恵比寿ビール」は
急速に成長しました。
社長になってから、「恵比寿ビール」は
急速に成長しました。
半纏姿で話題に?
三井物産の専務委員だった馬越恭平が、極度の経営不振となった日本麦酒醸造の再建役に任命されたのは1891年のこと。徹底した合理化と販売戦略で再建に成功した馬越は、日本でビールの認知度を急速に広めました。
卓越したアイデアマンだった馬越は、毎年正月には印半纏(はんてん)を羽織って初荷のビールを積んで、牛に引かせて練り歩くなど、口コミを利用した独自の宣伝方法を展開し、恵比寿ビールの成長に貢献しました。
卓越したアイデアマンだった馬越は、毎年正月には印半纏(はんてん)を羽織って初荷のビールを積んで、牛に引かせて練り歩くなど、口コミを利用した独自の宣伝方法を展開し、恵比寿ビールの成長に貢献しました。
1893
「日本麦酒株式会社」に社名変更
この頃、恵比寿ビールの人気が高まるにつれ、
各地で偽商標偽造事件が頻発。1893年に偽商標がはじめて現れ、1897〜1901年の間で50件以上も訴訟事件がありました。
各地で偽商標偽造事件が頻発。1893年に偽商標がはじめて現れ、1897〜1901年の間で50件以上も訴訟事件がありました。
1894
「恵比寿黒ビール」発売
まだ日本はビール黎明期でしたが、恵比寿ビールを発売からわずか4年後、「黒ビール」を発売。
早くからビールの多様な味わいに挑戦しました。
早くからビールの多様な味わいに挑戦しました。
1895
日清戦争の好景気で「恵比寿ビール」の売れ行きが増加。資本金を増やし、工場拡大のため、用地買収に乗り出す。のちに、目黒村と渋谷村(現渋谷区恵比寿)に合計3万坪強の土地を所有。
1899
日本初のビヤホール
現在の銀座に日本初のビヤホール「恵比寿ビヤホール」がオープン。馬越のアイデアで誕生したビヤホールは、行列が絶えない人気店となりました。
「ビヤホールの日」の由来もヱビス?
8月4日は「ビヤホールの日」。実はこれ、日本初のビヤホール「恵比寿ビヤホール」が東京・新橋(現銀座8丁目)にオープンしたことがルーツです。ビヤホールのアイデアは「恵比寿ビール」誕生の立役者、馬越恭平によるもので、「ビヤホール」という和製英語をつくったのも馬越。「ビヤサロン」「ビヤルーム」などの複数の案から決定したといわれています。ビヤホールはリノリウム張り床のハイカラなつくりで、ビールは500mlジョッキ1杯10銭で販売。開店1週間は1日に1,000リットル売れる日もあり、押すな押すなの大繁盛だったそうです。
1900
1900
パリ万博で金賞を受賞
1900年は恵比寿ビールがパリ万国博覧会で
金賞を獲得した記念すべき年。30カ国以上から出品された中での受賞は、価値ある評価だったといえます。その際ビール樽を重ねたディスプレイも高い評価を得ました。
金賞を獲得した記念すべき年。30カ国以上から出品された中での受賞は、価値ある評価だったといえます。その際ビール樽を重ねたディスプレイも高い評価を得ました。
1901
恵比寿停車場が開設
「恵比寿ビール」出荷専門の貨物駅が新設され、
ブランド名をとって「恵比寿停車場」に。
1906年には旅客の取り扱いを開始しました。
ブランド名をとって「恵比寿停車場」に。
1906年には旅客の取り扱いを開始しました。
恵比寿駅の始まりは?
「恵比寿ビール」の名から恵比寿という駅が生まれたのが、1901年(明治34年)のことです。当時は、ビールの積み卸し専用駅で、恵比寿停車場という名でした。その後、周辺の人口も増加し、1906年(明治39年)には渋谷寄りの地点に旅客駅「恵比寿駅」が誕生しました。
1904
米国セントルイス万博にて
グランプリ受賞
グランプリ受賞
本物の味わいにこだわる「恵比寿ビール」は、
100年以上も前から世界に認められていました。
100年以上も前から世界に認められていました。
明治時代に世界で称賛されたビール?
ドイツから機械を取り寄せ、ドイツ人技師にビールの造り方を教わり、誕生以来、本場の味を追求してきたヱビス。そして、国内はもとより世界に認められたのが、なんと今から100年以上前のこと。1900年(明治33年)、パリ万博に出品し、30か国以上の中から選ばれ、「恵比寿ビール」が金賞を獲得。1904年(明治37年)のセントルイス万博でもグランプリを受賞しました。
1906
日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒3社が合併、
「大日本麦酒株式会社」創立。
「大日本麦酒株式会社」創立。
1908
1910
1912
1920
1923
関東大震災、目黒工場の被害は軽微で済みました。
1928
「恵比寿」が初めて地名に
恵比寿駅の登場から遅れること22年、1928年に渋谷町渋谷の伊達跡などが「恵比寿通1・2丁目」と改称。これが「恵比寿」が使われた最初の地名です。
街の名になったヱビス
サッポロビール本社やヱビスビール記念館がある恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区恵比寿)。そこには、かつてヱビスビールを造る工場がありました。1887年(明治20年)に日本麦酒醸造会社(現サッポロビール)が設立され、1890年(明治23年)に「恵比寿ビール」が誕生。1901年(明治34年)には恵比寿停車場という名の積み卸し専用の駅ができ、そこから「恵比寿ビール」を各地へと出荷されました。恵比寿という地名ができたのは、その後の話。そう、恵比寿という街の名は、ヱビスビールが発祥なのです。
1940
1943
ビールが配給品となり、ビールの全商標は一旦名を消しました。
1945
東京大空襲で目黒工場罹災。
仕込設備などに被害が及びました。
仕込設備などに被害が及びました。
1946
目黒工場で製造を再開しました。
1949
大日本麦酒株式会社が分割され、
「日本麦酒株式会社」を設立しました。
「日本麦酒株式会社」を設立しました。
1960
1964
「サッポロビール株式会社」に社名変更
1966
町名、恵比寿誕生
山下町、新橋町、豊沢町、伊達町、景丘町の5つの町が、現在の恵比寿1〜4丁目へと改称しました。
1970
1971
目黒工場を恵比寿工場と改称しました。
1971
28年ぶりにヱビスビール復活
戦争の影響で、ビールそのものが配給品に。
ビール全商標がなくなり、ただ麦酒とだけ書かれたラベルに変更されました。そこから28年ぶりに
「特製ヱビスビール」としてよみがえりました。
ビール全商標がなくなり、ただ麦酒とだけ書かれたラベルに変更されました。そこから28年ぶりに
「特製ヱビスビール」としてよみがえりました。
口コミ作戦が話題に?
めでたく復活を果たしたヱビスビール。発売時には、新聞、雑誌、ポスターなどで広告を展開しましたが、その後ヱビスビールの広告宣伝はマスコミ広告を使わず、口コミを中心とする方針を取りました。復活の翌年、口コミ作戦の目玉として「開運金・銀ゑびす」のプレゼントをスタート。王冠の裏に一定の割合で「金ゑびす」「銀ゑびす」の文字を印刷し、見事当たった人は金・銀の恵比寿像をはめ込んだお守りがもらえました。
1975
JR恵比寿駅前に地元の人たちがゑびす像を建立以降、待ち合わせスポットの定番となりました。
1980
1985
ビヤステーション恵比寿誕生
恵比寿工場の敷地内に、列車の中でヱビスが飲める「ビヤステーション恵比寿」が誕生しました。
山手線の車窓から見えた?
ヱビスビール生誕の地で、いまや多くの人で賑わう恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区恵比寿)。1988年(昭和63年)までは、ヱビスビールを造る恵比寿工場があったのですが、千葉へと製造拠点を移し、再開発が始まりました。その数年前の1985(昭和60)年からごくわずかの期間、恵比寿工場の敷地内に「ビヤステーション恵比寿」があったのをご存知ですか。山手線の電車に乗っていると窓から青いビヤ列車が見え、多くの人が中でヱビスを味わっていました。
1987
工場跡地に新計画
恵比寿工場跡地「水と緑の山の手情報文化都市」構想を発表しました。
1988
恵比寿工場閉鎖
ヱビスの生産拠点が千葉へ移りました。
ヱビスの生産拠点が千葉へ移りました。
1990
1994
恵比寿ガーデンプレイスオープン
ヱビスビール待望の復活に合わせて、
目黒工場から改名した恵比寿工場。
その工場跡地に恵比寿ガーデンプレイスが完成しました。
目黒工場から改名した恵比寿工場。
その工場跡地に恵比寿ガーデンプレイスが完成しました。
東京の新名所として話題に?
1988年に歴史を築いた恵比寿から千葉へ移転となった工場。その工場跡地は大開発され、1994年に恵比寿ガーデンプレイスが完成しました。初年度の来場者数は1,600万人を記録し、東京の新名所として大きな話題を呼びました。
1994
「ヱビスビールあります。」テレビCMの
放送を開始しました。
放送を開始しました。
1994
ヱビスの躍進
1994年からスタートした「ヱビスビールあります。」キャンペーンを機に、ヱビスビールは業界で確固たる地位を築くことになりました。
ヱビスビールあります。
当時、ヱビスビールの人気は定着していましたが「どこにでも置いてあるビールではないだろう」と考える人が多かったとのこと。そのため「ヱビスビールあります。」のキャッチコピーを飲食店に掲げるキャンペーンを行いました。味わいはもちろん、ブランドイメージもこだわり続けたヱビスビールの売り上げは、キャンペーンを始めてからの3年間で約2.5倍に。ヱビス躍進の陰には、人々の記憶に残る名文句がありました。
2000
2005
ヱビス超長期熟成 限定発売
2004年に販路限定販売。好評につき2005年に缶で販売。「熟成」にフォーカスした深みのある味わい。
2005
発車メロディーが
ヱビスのテーマ曲に
ヱビスのテーマ曲に
JR恵比寿駅の発車メロディーに、
ヱビス
のCM曲「第三の男」が使われ始めました。
ヱビス
のCM曲「第三の男」が使われ始めました。
外回りと内回りで曲のアレンジが違う?
ヱビスのCMでお馴染みの「第三の男のテーマ」は、元は1949年の映画「第三の男」のために書かれた曲(別名「ハリー・ライムのテーマ」です。2005年(平成17年)よりJR恵比寿駅の電車の発車メロディーにヱビスのCM曲「第三の男」が使われ始め、今となっては恵比寿の街のテーマ曲のように。ちなみに内回り・外回りで曲のアレンジが違うこと、知っていましたか?
2009
シルクヱビス限定発売
小麦麦芽による、
絹のように滑らかな味わいのヱビス。
絹のように滑らかな味わいのヱビス。
ヱビス スタウト
クリーミートップ発売
クリーミートップ発売
日本人の味覚に合う、
ヱビスならではのジャパニーズスタウト。
ヱビスならではのジャパニーズスタウト。
2009
恵比寿ガーデンプレイスにて
「恵比寿麦酒祭」スタートしました。
「恵比寿麦酒祭」スタートしました。
2010
2010
「ヱビスビール記念館」オープン
ヱビスビール生誕120年目に、恵比寿ガーデンプレイス内にオープン。コンセプトは「ヱビスの全てがここにある」であり、日本国内では珍しい単独商品のブランドを冠した記念施設。
2012
ヱビス<一年熟成>限定発売
通常のヱビスビールの1.5倍の麦芽を贅沢に使用し、一年という異例の長い歳月をかけて熟成された「ヱビス<一年熟成>」。ウェブサイトのみで1,000セット限定抽選販売され、人気を博しました。
2012
ヱビスの日制定
1890年2月25日のヱビスビールの生誕を記念して、毎年2月25日を「ヱビスの日」として日本記念日協会に申請し、正式認可されました。
2016
ヱビス マイスター発売
ヱビスを知り尽くした匠による、
ヱビスの最高峰。
ヱビスの最高峰。
2017
ヱビス 華みやび発売
ヱビスで初めて上面発酵で作った、
フルーティーで柔らかな
ホワイトビール。
フルーティーで柔らかな
ホワイトビール。
2020
2020
ヱビス誕生130年
2023
スタート
130年以上にわたり培ってきた技術と知見を活かしながら、これまでの概念にとらわれない新たなビールのおいしさや楽しさに挑戦していく新ライン「YEBISU CREATIVE BREW」。
初の商品として、伝統と革新を融合した、130年以上前のホップがもたらす鮮烈な香りと苦みが特徴のNEW ORIGINを限定発売。
初の商品として、伝統と革新を融合した、130年以上前のホップがもたらす鮮烈な香りと苦みが特徴のNEW ORIGINを限定発売。
To be continued…