修禅寺 あさば

No

20

「一期一会の旬の地のものと」

NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・修禅寺 あさば
静岡県伊豆市

text by Noriko Horikoshi / photographs by Masahiro Goda

今、料理人もフーディ―も目指すのは「ローカル」といって過言ではありません。「自分の暮らす地域の文化や歴史、自然環境を料理に表現していこう」という動きが広まっています。長年、ガストロノミーと共に歩み、若手料理人の成長を後押ししてきたブランド「テタンジェ」のシャンパーニュと共に、地域に根差す老舗旅館の役割をフィーチャーします。

530年の歴史に磨かれた正調の美しさ

弘法大師が平安時代に開いた修善寺の門前町として栄え、戦国時代には源氏ゆかりの地として、また夏目漱石や井伏鱒二ら名だたる文人墨客に愛された保養地としても知られる伊豆・修善寺温泉。中心を流れる桂川に沿って風情ある温泉宿が軒を連ねる中、ひときわ古い伝統と格式を誇るのが、修善寺で530余年以上続く老舗旅館「あさば」です。

修善寺の山門で宿坊として開業した歴史を物語る堂々たる門構え。春には桜と新緑、夏は青葉、秋は紅葉と、四季折々の自然が遠来の客人を迎え入れる。

室町時代に寺が曹洞宗へ改宗された際、堂守りを務めた先祖が門前に宿坊を開いたのが旅館業のはじまり。山間の約1坪の敷地の中に滝や池、竹林、数寄屋造りの母屋や離れが点在する現在の旅館は、明治初期に開業した別館にあたるもの。

敷地内には目の前の桂川から水を引き込んで造られた広大な池が広がる。旅館と池を挟んで向かい合う能舞台「月桂殿」では、季節に応じて能楽、狂言、文楽などを上演。ライトアップで浮かび上がる夜の能舞台の眺めも別格の美しさ。

「温泉がお目当ての長逗留や釣りを楽しむお客様のための遊び場として新築されたと聞いています」と話すのは、十代目女将の浅羽魅咲さん。「あさば」といえば、敷地内の池に浮かぶ能舞台が有名ですが、これは宝生流の能をたしなんだという七代目当主の発案だったのだとか。
「東京のお台場から船で木材を積んで、こちらの港からは牛車でここまで運ばせたそうです。大変な手間と時間を労したはずですが、どうしてもお客様にお能を楽しんでいただきたい一心で。粋人だったのでしょうね」

客室は全16部屋。池と能舞台が一望できる間から、木々のさえずりや小川のせせらぎに包まれた離れまで、部屋からの眺めも個性とりどり。四季の移ろいや気候の変化に応じて竹林や庭の植栽にも細やかな手入れがなされている。

名旅館の凛とした様式美を保つ一方で、温泉宿ならではのくつろぎ、洒脱な遊び心をもって客人をもてなすホスピタリティもまた、「あさば」で半世紀にわたって紡がれてきた伝統といえるのかもしれません。

地のもので“ご馳走”を調える意味

国内有数の歴史をもつ老舗旅館「あさば」は、同時に日本を代表する料理旅館でもあります。朝暮の膳に並ぶのは、伊豆の豊かな食材の恵みを実感させられる料理の数々。近隣の漁港に水揚げされる地魚、天城山育ちの軍鶏や猪肉を筆頭に、近郊の棚田で育てられる“渓流コシヒカリ”のごはん、近隣の農家から毎朝届く旬の野菜や清らかな渓流で手摘みするクレソン、朝採れの原木椎茸など、知る人ぞ知る修善寺名物の逸品もずらり。八方を駆け回って素材を調え、もてなす“ご馳走”の言葉を体現する食卓です。

「できるだけ地のものを取り入れ、旬を大事にした一期一会のおもてなしをするということ。地元の生産者さんと信頼し合える関係を築くこと。代々の料理長が守り育ててきた方針でもあります」と話すのは、2010年から料理長を務める佐野誠さん。
「どこでも食べられるおいしいものではなく、その土地、その時季でなければならない味との出会いがあるから、お客様は遠くまで足を運んでくださるのではないでしょうか」

伊勢海老の唐揚げ
御前崎港に水揚げされる伊勢海老の身に葛をはたいて揚げ、海老からとっただしで仕立てたあんを張る。7~9月の伊勢海老の禁漁期間以外は年間を通じてメニューにのぼるスペシャリテ。器は尾形乾山、箸置きは北大路魯山人の作品。

一方、献立を構成する料理の一品一品のしつらえは、時に潔いと表現したくなるほどにシンプルそのもの。かいしきは一切使わず、お造りに添えるツマもなし。シグネチャーの一皿でもある「伊勢海老の唐揚げ」も「黒米の穴子寿司」も、飾りやあしらいを排したミニマリズムの盛り付けに徹し、それが慎重に選ばれた骨董の器と美しい対比をなしていることに気づかされます。
「シンプルであることも、先代から引き継いだ教えのひとつです。余計なものはのせず、奇をてらわない。献立は季節ごとに入れ替えますが、基本の料理についてはレシピをいじるということをしていません」

黒米の穴子寿司
お造りの後に“おしのぎ”として登場することが多い、これも定番の1品。修善寺の隠れた名産でもある黒米のご飯の上に柔らかく炊いた穴子をのせ、しっとりと蒸し上げている。穴子の下には山椒、春には木の芽をしのばせて。

女将の浅羽さんも「変わらない味を伝統として維持していくことは、とても重要なこと」と言葉をつなぎます。
「その一方で変えていくべきところは柔軟に変えながら、お客様の求めにお応えしていく。両方のバランスが取れてこそ、継承するということが意味をもつと考えています」

女将の浅羽さんにとっての“マイ・フェイバリット”でもあるという「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」2011ヴィンテージ。「独特のトースト香、しっかりしたボディに魅かれます。長い歴史にわたって家族経営を貫くメゾンであるところに、『あさば』との共通点も。シンパシーを感じますね」

お客様ファーストに徹して一期一会の供応を

変化といえば、世界的にパンデミックの嵐が吹き荒れた2020年以来、「あさば」を訪れるゲストにも、それまでとは違う意識の表れが見えるようになったといいます。
「単においしいものを召し上がりたいというご要望ではなく、大きく深呼吸できる自然空間に身を置いて自分の時間を取り戻したい、落ち着いて食事を楽しみたいという切なる希求を感じます」と浅羽さん。

そのために、以前にも増して徹底するようになったのが、ゲストのアメニティ(快適性)を最大限に尊重し、それぞれの要望をきめ細かく汲み取り、応えること。食事で言えば、「お風呂に入ってから食べたい」「飲みながらゆっくり味わいたい」といった一組ごとの求めに応じて夕食のスタート時間を設定。食事のペースを注意深く見計らい、調理とサービスの各担当者はインカムで確認を取り合いながら、次の一皿を出すタイミングを見極めています。
「お酒とおしゃべりが弾んで思ったより召し上がるペースがゆっくりな場合は、もう1回作り直すこともありますよ」と佐野料理長。

  • 「伊勢海老の唐揚げ」の仕上げに張る黄金色のとろみあんは、伊勢海老の頭や殻を香ばしく焼いてつぶし、3時間かけて煮込んだ後に海老の味噌を溶き入れ、醤油で薄く味をつけて仕上げたもの。ビスクを思合わせる濃厚な香りがたちこめる。

  • 食事専用の個室には、コンロを備えた半間ほどの続き間が設えられ、あんを温めたり、盛り付けの仕上げをここで行う。熱いものは熱く、香りも食感も最高の状態でゲストに味わっていただくための心配り。

夕食、朝食とも落ち着いて過ごせる部屋食が基本ですが、コロナ以降は池と能舞台を見晴らす眺めのよい新館の1個室を新たに食事専用の間として開放。コンロ台付きのカウンターを配した続き間が控えているため、簡単な調理の仕上げもテーブルへの目配りがきく至近距離で。料理の匂いが部屋にこもるのを嫌う宿泊客や、「熱いものは熱いうちに味わいたい」といった食通のゲストに喜ばれているそう。
これだけの緻密なアテンドが可能なのは、メインの本厨房の他にも上下階に分かれた3つの厨房を備え、全16部屋に対して全4カ所もの厨房で調理とサービスの手厚い連携が図られているため。一期一会の供応は、ゲストの目に触れない“楽屋裏”で支えられていることがよくわかります。

食事専用の間の壁に掛けられた掛け軸も尾形乾山作の「秋草」。

非日常の時空に憩う旅館ならではの贅沢

バカンス旅の醍醐味は、非日常の時空に遊ぶ喜び。憧れの名旅館に宿泊するとなれば、日常と切り離された空間で、夢見心地のひとときを過ごしたいと願う人も多いことでしょう。
“ハレ”の至福にしみじみ浸れるのは、「実は夕食よりも朝食の時間なのでは」と女将の浅羽さん。普段はバタバタと慌しくすます朝ごはんを、自然の眺めと音に癒されながらゆっくり、くつろいで味わう時間は、確かに旅館ならではの贅沢に違いありません。

温泉で朝湯につかった後、待望の朝食タイムのはじまり。炭火焼きの原木椎茸、新鮮な地卵でつくられるふるふるのだし巻き、地魚の風干しなど、地のものをふんだんに盛り込んだ心づくしの献立に心が躍る。

「あさば」の朝餉は、地のものの恵みに祝福されているような幸福感に満ちています。ある秋の朝の献立は、焼津産のメヒカリの風干しに、近隣の鶏農家から届く新鮮な産みたて卵のだし巻き、長い付き合いのある修善寺の豆腐店の豆腐から手作りする飛竜頭とカブの炊き合わせ、原木のどんこ椎茸の炭火焼きなど。脇に控えつつ、主菜に負けない存在感を放つのが、焼津産の本枯れ節の削り立てをふんわりと盛り上げた一品です。

焼津産の本枯れ節をふんわり、はらりと極薄にかいた鰹節は、「あさば」の朝食の定番。血合い抜きならではの、上品で雑味のない旨味。トースティな香りのヴィンテージシャンパーニュとも違和感なくなじむ。

「修善寺特産の山葵のすり立てを添えて、今の季節なら炊き立ての新米と一緒に召し上がっていただきます。ほとんどの方がお代わりをなさいますね。隠れた人気メニューといってよいと思います」と佐野料理長も、にっこり。

そんな“ゴールデンタイム”にふさわしい飲み物といえば、シャンパーニュです。「夕食時には日本酒を飲まれていたお客様も、朝食は断然シャンパーニュでとおっしゃる方が多いですね」と話す浅羽さん。先に紹介した食事専用の個室を指定し、きらきらと水面に舞う落ち葉や鳥のさえずり、滝のせせらぎを愛でながら、心ゆくまで“朝シャン”の楽しみに酔いしれるゲストも少なくないそう。シャンパーニュの繊細な泡立ちとエレガントな香りが、非日常の高揚感や特別感をいっそうかき立ててくれるように感じられます。

朝のシャンパーニュは水のせせらぎや小鳥のさえずり、だしや炭焼きの香り、ご飯の炊ける香ばしい匂いとセットの味わい。夜とはまた違い、体の細胞の隅々まで喜びがかけ巡るような開放感に満たされる。

「シャンパーニュを飲まれるお客様には料理をお出しする順番を入れ替えながら、“飲みモード”のタイミングに合わせる工夫もしています。たとえば、ご飯を炊くのは後回しにして、だし巻きやお浸しの小鉢など、おつまみになる料理を先にお運びするような。素材や料理の味わいばかりでなく、普段とは違う時間の流れも一緒に楽しんでいただけるような提案を考え、おもてなしに映すこと。レストランとは違う料理旅館としての役割は、そんなところにもあると考えています」

  • 池と能舞台を一望できるサロンを背景に「あさば」十代目女将の浅羽魅咲さん(右)、料理長の佐野誠さん(左)。

修禅寺 あさば