札幌麦酒株式会社の醸造技術師見習いとして修行していた矢木久太郎が、札幌麦酒として初めてヨーロッパへ留学。1898年(明治31年)、その矢木が留学中のドイツから日本に送った1袋のホップ種子。そのホップ種子から得られたホップを10種類に分類し、そのうち優秀な2品種を見出したのが、篠原武雄でした。
篠原が、アメリカ系のホワイトバイン種とドイツ産のザーツ種から生み出した新たなホップは、場所を長野県に移して試作した結果、気候風土にも適し、「信州忽布(ホップ)」と命名されました。そこからさらに増殖を図り、1919年(大正8年)に「信州早生」と改名されました。
この「信州早生」は、日本向けに品種開発されたホップとして、当社のみならず多くのビールメーカーでも活用されるなど、日本における主要な原料ホップとして、100年以上に渡って国内ビールを支えてきました。現在まで続く国産ホップの中で最も主要な国産品種※の一つといえます。
※ 同様に扱われている信州早生の変異株を含む