信州早生よりも優良な品種を開発することを目指し、新入研究員である森義忠さんが、ホップの病気をテーマに研究を開始。当時、ホップに関しては基礎的な知識しか持ち合わせていなかった森さんは、海外の文献を手あたり次第集めることから始めました。その中のイギリスの論文に、病気に強いあるホップ品種についての記載を見つけました。その品種は、「葉っぱが黄色い」 と書いてあったのです。
「日本でも同じようなホップがあるのではないか」と考えた森さんは、「黄色い葉っぱをもつホップは病気に強い」という仮説を確かめるため、「黄色い葉をもつホップ」を探すことを決意。ホップ組合の指導員に協力をお願いし、何年も畑をめぐっては、「黄色い葉をもつホップ」を探しました。しかし、そう簡単には見つからず、時が過ぎていきました。
ホップを探し始めてから実に4年後の1959年(昭和34年) 、ついに「黄色い葉を持つホップ」を発見。その時は、たまたまホップの“開花前”の畑に入ったそうです。そして実に契約栽培面積約300ヘクタール(東京ドーム64個分の広さ)、株数にして約100万株の中から発見されたこのホップこそ、後のゴールデンスターでした。苦労の末見つけたそのホップの観察を続けると、「信州早生」と同じ特徴を持ちながらも、病気にとても強いホップであることを突き止めました。ホップ農家の負担(農薬費用や作業)が少なくなる利点や、少ない肥料で栽培が出来ることもわかり、1969年(昭和44年)「ゴールデンスター」と命名されました。森さんがホップの研究を開始した1952年(昭和27年)から、実に17年後のことでした。
森さんが、約100万株の中から発見したゴールデンスター。花を咲かすと黄色い葉は緑に変わってしまうため、ホップが開花する前の畑に入らないと「黄色い葉をもつホップ」に出会うことはありませんでした。“より良いホップをつくり、届けたい”という研究者の執念が導いた 、まさに“偶然のホップ”であり”執念のホップ”なのです。