画期的な契約栽培と「奇跡の大麦」誕生
開拓使は1872年、欧米からビール大麦の優良品種を輸入して試験栽培を開始。1880年には開拓使麦酒醸造所の大麦はすべて道内産になりましたが、凶作などで生産量が安定しないことから安定供給を目指して契約栽培を開始します。交雑による優良品種の開発にも取り組み始め、そのもっとも代表的な成果として、当時の欧米の優良品種を凌駕し、日本のビール大麦育種の礎となる奇跡の麦「はるな二条」を完成させます。さらには世界各地の育種機関と協力し、ビールを劣化させる原因となる酵素LOX-1を持たず、一口目の旨さを長持ちさせるLOXレス大麦の商業生産を開始するなど、大麦の育種研究の成果は世界的にも高い評価を得ています。
大麦の試験栽培を開始
大麦の自給化への挑戦
安定供給を目指した契約栽培
ビール大麦の契約栽培は1890(明治23)年、北海道ではじまりました。当時の契約栽培は大麦を道内で生産が困難な米と交換する、という約束でした。豊作と凶作の差が大きく、計画通りの生産量が得られなかったための苦心の奨励策でした。1896(明治29)年にはビール用大麦品評会を開催し、優秀品には褒賞を与えて生産者の意欲を高めました。