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都心部ともいえる市街地に位置する恵比寿工場は、ビール需要の増大に応じるための増設には限界あり、物流事情や環境面での問題点もありました。1980(昭和60)年ごろから、社内では工場移転、さらには移転後の9万9,000㎡にも及ぶ跡地開発について論議してきました。大きな経営資源である跡地を最大限に活用する構想が生まれつつありました。そして1985年10月、当社は恵比寿工場の閉鎖と千葉新工場の建設を発表します。恵比寿工場は1988年6月に閉鎖。1889(明治22)年、ヱビスビール醸造場が竣工してから100年、この地でのビール造りに幕を下ろすこととなったのです。
新工場の用地選定は、東京からの位置、物流面、エネルギー供給、排水処理など操業上の諸問題を総合的に検討し、1986(昭和61)年7月に千葉県船橋市に土地を取得しました。船橋市高瀬町の京葉食品コンビナートの一角です。この新工場は千葉工場と命名され、1988年6月に竣工。1990(平成2)年5月の第2期工事完了すると、年間製造能力は27万kl(350ml換算約7億7,000万缶)となり、当社最大の工場になりました。ベイエリアに位置する千葉工場は、海を眺めながらビールを楽しむことができることもあり、人気の見学施設となったのです。
“冬には冬の味わい豊かなビールを”という基本コンセプトのもとに、誕生したのが「サッポロ冬物語」。発売は1988(昭和63)年10月でした。この頃、ビールは季節に関係なく一年中飲用されるようになってきたものの、夏季のビール需要は頭打ちの感があり、総需要の拡大は秋から冬にかけての消費量の増加に支えられる傾向が強まっていたのです。 当社は他社に先がけて、冬季需用の拡大を狙って冬物語を市場投入しました。ネーミングはシェイクスピアの戯曲「The Winter’s Tale」から引用。漢字による商品名は例を見ず、新商品は初春から初夏にかけて発売、という業界の通年を打ち破る10月の発売でした。初めてをそろえた冬のビールは大きな反響を呼びました。
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