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東北地方は当社の主力営業基盤の一つであり、かねて新工場の建設が計画されていました。1962(昭和37)年、工場用地は10ヶ所以上もの候補地から、宮城県名取市手倉田と決定。1964年の夏には造成工事を開始します。ところが、東京オリンピックが終了すると日本景気は低迷、“昭和40年不況”により工場建設スケジュールは大幅な延期を余儀なくされました。工事が再開できたのは1968年でした。1971年5月に、ようやく仙台工場が竣工したのです。
1971(昭和46)年12月、戦前の人気ブランド「ヱビスビール」を復活させます。戦時中の1943年にすべてのブランドが停止されて以来28年ぶりのことです。復活に際して、単なる戦前のブランドを復活させるのではなく、高品質ビール、ドイツタイプのビールの商品化に取り組んだのでした。そして、ヱビスビールは戦後、わが国初の麦芽100%、特製ビールとして蘇ったのです。
ドイツタイプのビールとは、ドイツでは1516年の法律「ビール純粋令」により、大麦、ホップ、水以外の使用を認めていません。したがって、米やコーンなど一切の副原料を使用しない麦芽100%ビールのことです。しかし、副原料の用いたビール醸造に慣れた当時の技術陣には大きな障害でした。麦芽100%ビールを醸造した経験がなかったのです。それを乗り越えて、リッチでコクのあるビールに仕上げたのです。
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