麒麟ビールの北海道進出
日本麦酒のシェア低下が続くなかで、1954(昭和29)年ごろから社内でサッポロブランドの復活を待望する声が高まってきました。この待望論に決定的な影響を及ぼしたのが、1955年3月、日本麦酒の独占市場であった北海道で麒麟ビールが発売されたことでした。数量は僅かでしたが、関係者に与えた衝撃は大きなものだったようです。札幌支店には地元の有力特約店社長らからサッポロビール復活の強い要望が次々と寄せられました。
北海道限定での復活発売
各方面からの声で、1956(昭和31)年3月、札幌工場創業80年記念を兼ねて、サッポロビールを13年ぶりに北海道限定商品として復活発売させます。販売直後から売行きは極めて好調で、6月にはサッポロブランド一色になりました。
北海道でのサッポロビール販売好調を受け、本社ではニッポン、サッポロ両ブランドの市場調査を実施。調査の結果によると、ニッポンは若者層に人気があるも40代以上では低く、一方のサッポロは年代層を超えて高い知名度と好評を得ていることが判明しました。
そして1957年1月、サッポロビールの全国復活発売に踏み切ったのです。
北海道のうまいビール「壜生」
1957(昭和32)年7月、東京、横浜など都市部を中心に限定発売した「サッポロ壜生ビール」を発売します。翌年、北海道でも発売。先行販売していた地域では漸減傾向をたどるのですが、北海道では好評を博しました。暖房が普及した北海道では冬でもビールがおいしく、飲むなら「生」を、ということだったようです。
北海道を旅行して、サッポロ壜生ビールを味わった方々から、サッポロのあの生ビールが飲みたい、どうすれば手に入るか、との問い合わせが札幌支店・工場に多数寄せられました。
この生ビールが1977年の「サッポロびん生」につながっていくのです。