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大日本麦酒は、1933(昭和8)年7月に東武鉄道社長根津嘉一郎が率いる日本麦酒鉱泉株式会社を合併します。同社の前身は1887(明治20)年に現在の愛知県半田市に設立された丸三麦酒醸造所で、1906年10月に根津社長が買収し、日本第一麦酒株式会社と改組改称。 日本麦酒の社長馬越恭平は、1906年の3社合同以前から丸三麦酒醸造所の吸収合併をもくろみ、交渉をしていました。馬越が不用意に丸三麦酒合併の考えを口外してしまい、それを耳にした北海道炭礦鉄道の支配人福沢桃介は根津社長を誘い、丸三麦酒を買収してしまったのです。知人である馬越の知らぬ間に行われたため、機先を制された馬越は憤慨。それ以降、両人の間には感情的な対立が生じ、それは事業上の競争だけではなく、骨董品、茶会などでも張り合うようになったのです。 1933(昭和8)年4月、馬越が死去。馬越をライバル視して果敢に挑戦し続けた根津社長は合併に同意し、完全にビール業界から手を引きました。これにより大日本麦酒は従来のサッポロ、ヱビス、アサヒのビール3ブランドに、旧日本麦酒鉱泉のユニオン、カブトのブランドが加わったのです。
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