1916年 アングロ・ジャーマン・ブルワリーの買収

初の海外生産拠点

中国・山東半島の青島は1898(明治31)年3月、ドイツの租借地となり、東洋艦隊の基地が設けられ、ヨーロッパ風の都市として建設された町です。在住ドイツ人と清国市場向けにゲルマニアビール会社が設立され、ドイツ風ビールを醸造していました。
同社は第1次世界大戦の開戦に先立ち、イギリス資本を導入して、本社を上海に移し、社名もアングロ・ジャーマン・ブルワリー(The Anglo-German Brewery Co., Ltd)と変更しました。ドイツ軍基地が占領されることを予測し、接収を免れるための措置と考えられます。
その後、イギリス資本の敵国人取引法により会社自体が同国に接収されました。中国大陸に生産拠点を設けたいと考えていた大日本麦酒は外務大臣宛に、買収するためにどのような手続きをとるべきか、などの伺書を提出します。そして、1916(大正5)9月、正式にこの工場を買収しました。わが国ビール業界における初の海外生産拠点です。

青島ビールの発売

大日本麦酒青島工場
大日本麦酒青島工場
「青島ビール」のラベル
「青島ビール」のラベル

大日本麦酒は、第1号の海外生産拠点を青島工場と命名し、1916(大正5)年12月からビールの醸造をはじめます。翌年の5月から「青島ビール」の出荷を開始しました。同年の営業報告書にはビールの売行きは「頗る好評を博せり」との一文が記されています。
青島工場はその後、ヨーロッパ産や地元ビールに対抗するため、1924年からの数年間で設備の増設、改修を行い、全く面目を一新するに至りました。