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明治新政府は1869(明治2)年7月、北海道開拓のため「開拓使」を設置。同じ年、蝦夷地と呼ばれた北の大地を「北海道」と改称しました。推進役の黒田清隆は1871年、開拓の指南役をアメリカに求め、農務長官ホーレス・ケプロンを総合プロデューサーとしてスカウトします。開拓使はケプロンの指導のもと北海道の気候、地勢、鉱山資源などの調査を実施。開拓使が廃止される1882年まで、30工場以上にも及ぶ事業が実を結びます。数多くの事業の中にはビール醸造も含まれていました。
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